できる限り、痛い思いや危険な思いはさせたくなかった。
親であれば、自分の子に痛い思いや危険な思いはさせたくないと思うのは普通のことでしょう。
好奇心の塊ともいえる子どもの行動にはよくハラハラさせられるものですよね。
そんな時、どうすることが正しいことなのでしょうか。
『見守る』
『手を貸す』
『放っておく』
『考えられる危険を排除する』
どれが正解で、どれが間違いかということはハッキリとは言えないでしょう。
それは、時と場合によって正解にもなり間違いにもなるということが考えられるからです。
ただ…
よほどの危険を伴うということがない限りは、多くの場合『見守る』ことが正解に近いのではないかと私は自分の経験から言うことができます。
今回は私自身がじっくりと『見守る』ということができなかったという経験と、それによってどうなってしまったかというお話です。
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私は黙って見守るということができなかった。
口癖は『危ない危ない。』だった。
退院してからというもの、娘は『超』がつくほどに順調に成長し、寝返り→ハイハイ→つかまり立ち…と、なにも問題なくクリアしていったわけですが、やはりハイハイができるようになるころには行動範囲も広がり、それまで見えなかった世界が見えるようになるわけです。
そして当然、多くの赤ちゃんはなんでも口に入れてしまうということが常識。笑
見ていない間に、変なものを飲み込んだりしたら、大変なことになりますし、実際それで窒息してしまうという事故も起きているので、床には余計なものは置かないようにしていました。
これくらいは多くの家庭で実践されているのではないかと思います。
では、ハイハイをしながら前に進んでいる子の先に障害物(口に入るようなものではないもの。椅子とかテーブルとか。)があった場合、あなたならどうしますか?
先に言ってしまうと、私の場合は、口癖の『危ない危ない。』という言葉とともに、子どもの向きを強制的に変えたり、先回りして障害物を避けてあげたりしていました。
赤ちゃんは喋れません…。
だからこそ親は『もしかしてこの子には何か考えがあるのかも』と思うべきであり、見守るべきなのです。
・もしかしたら、その障害物の一部に興味があるのかもしれない。
・興味はなくても、自分で障害物を認識して避けるかもしれない。
・何より、ハイハイして仮に障害物にぶつかったとしても大怪我どころか、怪我をする確率は極めて低い。
・ぶつかることで、『これは硬いものだ』という学習を赤ちゃんなりにするかもしれない。
私は先回りすることで、あらゆる可能性に蓋をしてきてしまっていたのです。
つかまり立ちができるようになると、ソファーに登ろうとしたり、不安定なものにつかまって転びそうになったりということも日常茶飯事。
その時も私は、ソファーに登ろうとした時には、後ろに転倒することに危険を感じ、先に抱っこしてソファーの上に上げてやったり、不安定なものにつかまろうとした時には、それを避けさせたりと…。
娘のチャレンジ精神さえ奪っていることに気づいていない親でした。
頭の病変で手術をしたので、頭に刺激を与えたくないとそのことばかりが先行し、全くと言っていいほど娘の気持ちを考えてあげられなかったんですね。
数年前もそうでした。
自転車の補助輪を外し、補助輪無しでの練習をしていた時、私は転ばないように転ばないように練習させていました。
乗れるようにはなったのですが、その後に『またやってしまった』と物凄く自分の教え方に後悔し反省したのです。
『転び方を教えていない!』と。
何回も転んで覚えた方が、自転車の危険なところもわかるだろうし、転んで転んでそれでも挑戦して乗れるようになった方が達成感だって段違いなはずです。
また、安全だけを用意してしまったことに本当に後悔しました。
このように、つい最近まで、私は先回りしてしまうということをやってしまっていたのです。
転び方(挫折)を知らない娘。
起き上がるまでに普通より時間がかかってしまう。
先回りに先回りを重ねてきた結果はというと…
『挫折』を知らないという状態で、育ってしまっていたと言えます。。
これはとても大変なことで、転び方(挫折)を経験したことがないので、起き上がり方(立ち直る)がわからない。
なので、子どもなりの挫折や困難を経験した時に、そのストレスに耐性がないため、どうしていいのかわからないまま泣き続けるということが何度もありました。
更に、自分が置かれている状況が理解できないため、言葉で表現することもできない。
これは完全に親の罪です。
現在は、それなりに色々な経験も積んできたのでだいぶ良くはなりましたが、それでもまだ立ち直るまでには時間がかかる方でしょうね。
それともう一つ。
娘がやってほしいであろうことを先回りしてやってきたことで、それが当たり前になってしまっていて、娘は何か要求したいときにそれを言葉で表現するということができなくなっていました。
困難に直面した時もそうです。
何が嫌なのか、どれをどうしてほしいのかということを言葉で伝えることができずに泣く。
こんな時はなんて言えばいいんだろう…
あんな時はなんて言えばよかったんだろう…
きっと、子どもなりに悩んだと思います。
大きくなるにつれて、そして先回りを辞めて、困難を積極的に経験させることで、『私は今、これをこうしてほしい』と少しずつ言えるようになってきました。
3年ほど遅れて子育てをやり直しているという感じでしょうか。
なんにせよ、成長を感じる場面に出会えることは嬉しいですね。
今回も読んでくれてありがとうございます!